それは、月の綺麗な夜だった。
月明かりが照らす、大きな首都の狭い小道を、男は歩いていた。

夜に溶ける漆黒の髪に、深藍の瞳。
そして何よりも、すらりと伸びた痩躯。
それは、一般的に平均とされる身長よりも飛びぬけていた。
にも関わらず、その身は細いために、ひょろりと伸びて見える。
決してガリガリに痩せているな訳でも、筋肉が足りていないわけでもないのだが、身長との比重がそう見せるのだろう。

───アサシンとしては、小回りが利かないのは少々困る気もする。
夜道を歩く長身の男、ミスミは時折そう思う事があった。
ミスミの職業はアサシン、…いわゆる暗殺者である。
隠密に潜入して「作業」する、という仕事においては確かに長身であるのは必ずしも利点ばかりではなかった。
何より大きいと目立ちやすいという難点がある。

とはいえ、ここ一年程彼はそういった仕事は請け負っておらず、なんとなく時間を潰す毎日だった。
特に大きな理由があったわけではない。が、ただ急に馬鹿馬鹿しくなったのだ。
昼行燈としての暮らしは中々性に合っている様で、すっかり平和な暮らしが馴染んでいる。

そうして、今宵もミスミは酒と煙草を片手に夜の散歩をしているのだった。
何をするわけでも無いが、ただあてもなく歩くのがミスミは好きだった。
何よりも夜気が肌に心地いい。
それを味わうだけでも彼にとっては十分で、夜の散歩は欠かせない日課にもなりつつある。

夜の静謐な雰囲気を味わいながらぶらぶらとアテもなく歩いていたミスミだったが、ふと道の片隅の「何か」が目に付いて目線をやった。
「それ」はどうやら子供の様だ。
膝を抱えた子供が道の片隅で丸くなっている。

「(────寝てンのか?)」

別に放っておいてもいいのだが、と思いながらも、夜道には不釣り合いなその子供に無意識のうちに内心で詮索してしまう。
子供は丸まったままで、ミスミが見ている事には気が付いていないらしい。
少し考えてからミスミが少年に少し近寄ってみる事にして、少し窺う様に子供を見てみると、
やはり寝ているらしく、スヤスヤと穏やかな寝息が聞こえてきた。
アコライトの僧衣を着ているのは分かるが、膝を抱えている為、顔までは見えない。
それでも僧衣のデザインを見る限り、これは少年だというのは分かった。

「(…こういう裏道でガキが一人ってのも問題だと思うんだが…)」

そう思い辺りを見てみるが、保護者らしき人物の姿は影も形もなかった。
首都であるとはいえ、こういう狭い道は、特に夜などはあまり治安がいいとも言えない。
さてどうしたものか。
そうは思ったが、敢えて自分から余計なことに首を突っ込むのも面倒な気がしてミスミは半眼で暫し少年を見る。
依然として少年は起きる気配を見せない。

「(…まぁいーか、放っ…)」

やはり面倒な気持ちが勝って、ミスミが立ち去りかけた刹那。
ぐん、と、何かに服を引っ張られてミスミは立ち止まった。
あまりの不意打ちに、かけていた眼鏡がずれ掛ける。
それを直しながら振り返ると、少年の手がミスミの服の裾を握りしめていた。

「…起きたのか?」

声をかけるが答は無い。
どうやら寝ぼけていたらしい。
全く…と思いながらミスミはその手を服から外そうと屈みこみ少年に手をかけた。
が。

「…は、外れん…」

思った以上に強い力で掴まれているらしく、握りしめた少年の拳はピクリとも動かない。
そして相変わらず、何事もなかったかの様に寝息が続いていた。
どういう馬鹿力だよ、と思いながらも少年の手を解く事に奮闘していると。

「てぃーーーーーーーーっス☆」

突然上空から声がした、…かと思うと次の瞬間、何者かがミスミを目掛けて飛びかかってきた。

「なっ…」

なんの脈絡もない「何者か」の襲撃に、思わず咥えていた煙草を取り落としながらもミスミは「何者か」の攻撃をかわそうと────…
…かわそうとして、自分がその場にかがんでいた理由を思い出した。
今自分の裾はこの少年が握っている────
考えている余地は無かった。
咄嗟にミスミは立ち上がり少年を抱えてその場を飛びのく。
間一髪、「何者か」の攻撃は地面を軽く削るに留まった。

「やっほ〜!こんばんは〜☆」

ミスミを襲撃した「何者か」は何の悪びれもなくそう言ってひらひらと手を振った。
夜更けには似つかわしくない聞く者を苛立たせる様なハイテンション・ヴォイス。
そして、見るからに怪しい風体…ケーキ帽にスピングラスに髭。
更に信じがたい事に、その人物はあろう事か男プリーストの法衣を身に纏っていた。

この人物を、ミスミはよく知っている。

「マスター、アンタはどうしてそう脈絡がないんだ」

少年を抱えたままでミスミは、半ば呆れた様に怒りを含めて半眼で呻く。
嫌でもため息がこぼれる。

今ミスミの目の前に居る男プリースト…と思われる人物は、ミスミの所属しているギルド「グリモア」のマスターだ。
ミスミは彼とは長い付き合いで、幼いころからの腐れ縁だった。
そして半年程前、新設ギルドを作ったと言って半ば無理矢理にミスミをギルドに入れた人物でもある。
更に説明を追加するならば神出鬼没、厄介事の裏にはヤツがいるという折紙つきだ。

「やだなぁ、ミスミちんったら…もっと親しくレズィたん☆って読んでくれていいんだよーぅ?」

そう言いながら男プリーストはミスミにすり寄ってきた。
ちなみにレズィは呼称で、本名はアレイズリードというらしい。誰も呼んでいないのだが。

「呼ばん。ウザい。キモい。離れろ。」

それを適当にあしらう様にしてミスミは押しのけて、しっしっ、と犬でも追い払う様に手を振る。
だがレズィはそんな事は一向に気にした様子もなく、ミスミをじっと見て、

「ところでミスミちん、その子供は?」
「ん?…ああ」

言われてミスミは抱えたままになっていた少年を見やる。
この騒ぎにも動じずによく眠っている。
それを下ろそうとして、少年のてが掴んでいる部位が服の裾から肩と首に移動しているのに気が付いた。
しっかりと抱きついたまま、手を離しても落ちない。

「…」

どうしろというんだ、と、取りあえず少年を抱え直していると、その様子を見ていたレズィが突然、ハッ!とした表情をした。
今度は一体何なんだと思い、怪訝な顔でミスミがレズィを見ると。

「ま、まさか…ミスミ…っ」
「何だ、急に」
「あああっごめんよ僕があんまり君にかまってやれなかったばかりについに人攫いをぉおおっ」

オーバーリアクションでレズィは大げさな泣き真似をしてみせる。
更に、やはりティティオヤ(レズィ曰くは父親の意)らしい事をしてやれなかったのが悪かったんだねきっと!!
とか、今からでも遅くはない、さぁ神に懺悔を捧げて警察に!!
等と喚き散らしている。

「うっさい!誰が人攫いだ…っていうか誰が誰の父親か!」

すっかり一人で暴走しきっているレズィを蹴り飛ばしてやると、レズィは一瞬グハッ、と呻いた後、
何事もなかったかの様にさわやかな笑顔で、

「いやぁ、演出は大事かと思って☆」

ケロッと、そう告げた。
ダメだ、コイツに全力でかまってはダメだ。
そうわかってはいるものの、全身で突っ込んでくださいと主張している様なこの男に誰が突っ込みを入れずにいられるのか。
そう思うと益々疲れる気がして、ミスミはげんなりと項垂れた。

「それで、ホントはどしたの〜?」
「…拾った。」
「はい?」
「今、そこで、拾った。」

実際には自分が捕まえられたという方が正しい気もしたが、それはあんまりなのでと、取りあえず拾ったと言ってみる。
それもどうかと思われる話だが、比べてどっちが本人的にマシかというレベルである。

「拾ったって…動物じゃないんだからぁ」
「…よもやお前に常識を諭される日が来るとは思わなかった。」
「やだなぁ褒めても何も出ないゾっ☆」
「誰が褒めるか変態馬鹿。」
「馬鹿って言った方が馬鹿ですーぅ!」

ぷん、などと可愛らしく怒って見せている(つもりらしい)レズィは、そう言って口をとがらせた。
もういっそ殺っちまうか☆などと思いたくなる程にウザいと思いながらもハイハイ、とミスミは話を流す事にする。
このままこの男に構い続けては夜が明ける気がしてきたらしい。
そしてそれは実際に間違った表現でも無いだろう。

「…とにかくそういう事だから」

ここに至るまでの短い話を淡々と、口早にミスミはレズィに説明して、そう締めくくった。
下手に横やりを突っ込まれる前に早口で説明してしまうのが一番有効らしい。
内心で覚えておかねばと思いつつミスミがレズィの反応をうかがうと、レズィは何事か考えているらしく、腕を組み唸っていた。
こいつでも真面目に考える事はあるのかとかなり失礼な事を思いながらもじっと見ていると。

「…ぐぅ」

唸り声がイビキに代わるまではそう短くなかった。
もはや寝るなと突っ込みを入れるのも馬鹿らしくミスミは無言でレズィの頭を平手で殴っておく。
すると、目が覚めたらしくレズィは。

「ハッ!…結論が出たぞミスミ!」
「いいから涎を拭いてからしゃべれ。」
「違う!これは涎じゃないぞ!それじゃぁ僕が寝てたみたいじゃまいかっ」
「寝てる以外の何だったんだ…っていうかソレは涎じゃなきゃ何なんだ。」
「コレは…アレだ。美少年特有のアロマ的なコラーゲンっぽい…そうだ、美少年エキス!!」
「言い訳までもが図々しい…っていうかもういいから話を進めろ話を。」

うっかり流されそうなのを無理矢理本流に戻してミスミはため息をついた。
一体何度本流から離れればこの男は気が済むのか…

「ああ、うん、それでさぁ、僕思うんだけど〜」
「…、」

嫌な予感がする。
ミスミに走る悪寒がそう告げていた。

「ミスミが貰っちゃえば☆」

にぱ、とレズィは笑ってそういった。

「アホかお前は。」
「ええ〜なんでさぁ〜」

レズィは不満そうである。
口を尖らせてブーブーと不満を露わにしているレズィに、ミスミはただただ頭を抱えるしかない。

「なんでじゃない、道端に落し物があった、ってレベルじゃないだろう。」
「何を言っているんだ、ミスミ!!」
「な、何が…」

唐突にまじめな顔を見せるレズィにミスミは思わず言葉を詰まらせた。
まさかここに来て(やっと)マトモな事をいう気になったのかと思いきや。

「拾い主は一割!!」

ずばーん、とレズィが言い切った。
その場にうすら寒い空気が流れ…いや、最早突っ込む気力もなく石化しているミスミが居た。
どうすれば人間の常識の範疇で会話ができるのか。

「…あのな…」

財布を拾ったという話とはワケが違うんだ。
そうミスミが言いかけると、急にレズィはケロリとした顔をみせて、こう言った。

「ってゆっかぁ、そのコ、うちのギルメンなんだよね!」
「…は?」

【ギルメン】
ギルドメンバーの略称。同じギルドに所属している者の事を刺す。おな中のノリでおなギルと言ったりはしない。

「はぁ!?」

ばっ。
思わず改めてミスミはアコライトを見た。
確かにギルドの溜り場には顔をあまり出さないが、それでも一応一通り顔は見た事がある筈だ。
記憶にある男アコライトは先月に転職したと話には聞いていたし、顔はよく見えないもののこんな小さな子供が居た覚えは無い。

「ん…?」

その時、ふと、アコライトの袖元に目が行った。
ビターチョコレートよろしくな焦げ茶色の袖には確かに、ミスミと同じギルド「グリモア」のエンブレムがついていた。
ちなみにミスミは肩当に、レズィは首に刺青で入れている。
開かれた赤い本の上に、リングのかかった金十字、そして右に天使の翼と左に悪魔の羽根、という模様だ。

「ね、ホントだったでしょ★」

その様子を見て取ったらしいレズィが後ろで得意げに言うのが聞こえてきた。
おんなじギルドのぉ、リコぴんでっス★などと追加情報が漏れなくついてくる。ついでに妙なポーズもついてくる。
どうやら少年の名前はリコ、という様だ。

「だったら最初からそう言え、この本末転倒男…っ」

今までの徒労っぷりに一気に疲れが押し寄せる。
心なしか突っ込みもキレがないようだ。

「…で?」
「んん?」
「なんでそのギルメンが、こんな所で寝っ転がってるんだ、ギルドマスターさん?」
「別に寝転んでは無かったんじゃなぁいー?」
「そんな細かい事はどうでもいい、どうなんだ?」
「んー…、………、……」
「今度は寝るなよ」

二度も同じボケをされても迷惑とばかりに釘を刺すと、本当に寝かけていたらしいレズィが顔を上げた。

「寝ないったら、しっつれーだなぁ!」
「お前に礼儀を問われたくは無いな」
「えぇーこれ程までの常識人は他には居ないと思うなボカァ!」
「あーハイハイハイハイ、わぁったから話を本流へ戻せ」
「んもー、ホントにわかってるぅ?」

ぷんぷん、などと可愛くもない可愛らしい怒り方をしつつ、レズィはやっと真面目な顔をした。
…まぁ、この男が真面目な顔をした所でいつまでもつかは謎なのだが。

「んで、正直なトコ、ボクにもなんともねぇ…ご両親は早くに亡くなったとは聞いたけど」
「…寮があるんじゃなかったのか」

両親が居なかったとしても、聖職者であるなら彼らには確か専用の寮があったはずだ、と、昔知り合いから聞いた話を思い出してミスミが聞くが、

「んんー、そうなんだけどぉ、リコぴんは寮に一回入ったけどスグ出てるらしいんだよねぇ」
「…なんでまた」
「さぁ?」

言ってレズィはお手上げのポーズをして首をかしげた。

「てっきりボカァ親戚の所に行く事になったんだと思ってたよ?」
「…そんでココで寝てりゃ世話無いが、な」
「誰かとの待ち合わせにしちゃー無用心だしねぇ」

寝てたら待ち合わせ相手が来た時びっくりだよネ★などとレズィが言っているが、
そういう問題でも無い。
…と、突っ込みたかったが敢えてその衝動は押さえ込んでみる。

「…しかし、起きないな。これだけ騒がしいのが居るってのに」
「ちょっとぉ、寝てる人の前で騒いじゃダメよぉ、ミスミちん!」
「その言葉そっくりお前に返しておく」

問題の少年は、コレだけ近くで騒いでいるにも関わらず(しかもミスミが抱きかかえたまま飛んだり跳ねたりしていた)、スヤスヤとね息を立てて夢の中だ。
…ある意味肝が据わっていると言えなくも無い、のだが、起きないことには話が進まないので、仕方なくミスミは少年アコライト、リコの頬をピタピタと軽く叩いてみた。

「…んん…や…も、ちょっと…」

どうやら寝ぼけているらしいリコが、むにゃむにゃと言いながら頬を叩くミスミの手を握って辞めさせようと…
いや、しっかり辞めさせた。
金のガチョウよろしく、触ったところからひっついて離れない仕様。
やはり馬鹿力らしく、ちょっとやそっと振り払った程度でははがれそうにもなかった。

「…俺にどうしろと…」
「まぁ、朝になりゃ目が覚めるんでなぁい?」
「朝まで抱きかかえてろと?」
「寝りゃいーじゃない★
 お手々つないで仲良しこよしでいーんでない♪」

服は着替えられないけどネっ★などと、ヒトゴトのように、いやヒトゴトであるのだが、レズィは言い放った。
無責任な発言にミスミがげんなりと項垂れる。

…やはり下手に拾い物をするべきではない。

本日の教訓。
君子危うしに近寄らず。

そんな事が頭をよぎった夜半過ぎだった。




→To Be Continued...